推しに詠んでほしい百人一首 第2弾

さあやってきました第2弾!

今回はMr.KINGの平野くん・永瀬くんと、関西Jrの西畑くん・大西くんに詠んでほしい百人一首を紹介していきたいと思います!

 

平野くん

 忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は ものや思ふと 人の問ふまで

 

この和歌の意訳をしますと、

「誰にも知られないように包み隠してきたけれどついに顔に出てしまった、私の恋心。何か思い悩んでいるのか?と人から尋ねられるほどに」

 

百人一首」でも定家が好んで多く撰んだ「忍ぶ恋」をテーマにしたもの。

誰にも知られないようにひそかに抱き始めた恋心がどんどん膨らんできて、どうにも隠せなくなりついには人に知られてしまう...ピュアな究極の片想いを詠んだこの歌。

 

紫耀ってわかりやすいようでわからない人だと思います。天然でちょっとおバカ、でも中身はすごく計算高くしたたかだと思う。そんな人が誰にも知られないように必死に自分の恋心を隠してきたけど...ってなったらすごく興奮しません?

 

紫耀には、「花の色は~」(9番)も是非とも詠んでほしい。世界三大美人に数えられるあの小野小町の有名な和歌。絶世の美女であることを鼻にかけるちょっと性格悪いタイプだったらしいけれど、六歌仙三十六歌仙の両方に選ばれている数少ない人で和歌も抜群に上手かった。この歌を詠んでちょっと照れちゃうところ想像できる...

 

 

永瀬くん

 逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

 

「もしあなたと逢うことがなかったら、あなたの無情や我が身のつらさを恨んだりすることもないだろうに」

 

中納言朝忠こと藤原朝忠(ふじわらの・あさただ)は中納言にまで出世し、歌は三十六歌仙に選ばれる腕前、漢学にも精通し、それに加えて笙という笛の名手。当然、女性にモテモテでした。事実、朝忠はなかなかのプレイボーイで多くの宮廷女性と浮いた噂を流しています。

父親パイロットで転勤族、細身の長身に関西弁にちょっと天然も入ってるそんな爆モテ廉ちゃんを当てはめてもおかしくないと思いませんか...!?

 

この歌は「いまだ逢はざる恋(逢ったことのない相手への恋)」として「拾遺和歌集」に掲載されているものですが、「逢ひて逢はざる恋(何度か逢ってはいるが今は逢えない恋)」と解釈するほうが分かりやすい気がします。すでに深い関係になっていてその想いが激しさを増しながらこその恨み節なのではないかなと...

 

そもそも「逢う」は「会う」という意味ではなく男女が逢う、つまり夜を共にすること。今で言うセッ【自主規制】です。するとこの歌は「あの人と逢瀬を重ねられなかったら、彼女の冷たさや自分の運命を恨むようなこともなかったのに」という”オトナな恋”の嘆きと読めます。

もし今の廉ちゃんがこれを詠んだのならファンはきっとその女性を突き止めようと必死になるはず...ショタなれんれんではなく成人した廉ちゃんにおすすめしたい。

 

 

西畑くん

 小倉山 峯のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ

 

この歌、小倉山の紅葉に語り掛けているんです。「もしお前に心があるなら、もう一度天皇の御幸(=訪問)があるはずだからそれまで散らずに待っていてほしい」と。

 

作者・藤原忠平(ふじわらの・ただひら)は摂政・関白・太政大臣を歴任し藤原氏が栄える基礎を築いた一人。まさにエリート中のエリート。

ただし兄の時平(ときひら)は当時対立していた菅原道真を陥れ大宰府に左遷させたものの怨霊となった道真のたたりに遭い39歳という若さで亡くなったと言われた人。時平の気性は荒かったけれど、弟の忠平は寛大な性格で周りからの信頼も厚かったみたい。

兄が対立した道真とも手紙を送り合うなどの親交があった模様。

 

 

この歌は、小倉山の紅葉があまりにも美しかったので宇多上皇が「自分だけ見るのはもったいない、醍醐天皇宇多上皇の子)も御幸すればいいのに」と言ったのを聞いて、忠平が宇多上皇に代わり醍醐天皇に御幸を勧めるために詠んだ歌。あえて遠まわしに伝えることで二人へのきめ細かな配慮が見てとれます。

 

大吾は上京した紫耀や廉ちゃんとも定期的に連絡を取り合って、かんじゅ日誌という公のツールを使い二人によくメッセージを送っている。ライバルがどこにいても応援する彼のスタイルはかっこいい。ファンを喜ばせるためであったとしてもそれでも嬉しい。二人への思いやりというか、二人とのつながりを大事にしてくれているような部分がこの忠平の歌に感じられたんです。

 あと、醍醐天皇西畑大吾。”だいご”繋がりで選んでみました。笑

 

 

 

トリを務めるのは!

 

大西くん

 めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

 

この歌の作者、めちゃくちゃ有名です。そう、紫式部。あの長編物語の傑作「源氏物語」の作者。

紫式部は小さい頃から天才だったようで、男兄弟よりも上手に漢文を読みこなして父親も「この子が男に生まれていたらなあ...」とその才能を惜しんだらしい。

 

※当時女性は漢学を学ばなくてもよい、漢学は男性の学問と呼ばれていました。同じように漢学の才能があった清少納言は周囲に自分はできるとひけらかしているタイプだったそう。ちなみに清少納言紫式部は仕えていた時代が重ならないため直接の面識はないと言われています

 

この「めぐり逢ひて~」は恋の歌と思いきや、実は幼友達に詠んだ歌。

「以前から友達だった人に何年かぶりに会った。でもあまりにつかの間で7/10の夜半のに沈む月と競うように帰ってしまった」と掲載されている「新古今和歌集」の詞書にあります。

 

かつての友人が自分を訪ねてきたけれどあっという間に帰ってしまって寂しい、ということを歌った単純な歌に思えますが、実はこの中には彼女の深い孤独感がにじんでいると考えられています。源氏物語という途方もない傑作を書いてしまった彼女の心の闇が「雲に隠れてしまった夜半の月」と重なります...

 

小学生で事務所に入所してすぐ、ゴールデンタイムの連続ドラマに出演したり、関西Jr初の全国ツアーへの参加、多くの先輩が出演する伝統の舞台に出演したり華々しい活動をしてきたりゅちぇ。ダンスも上手いしアイドルに徹する姿は高校生ながらさすがプロとしか言いようがないほど。でもそんな彼でも「悔しい思いをしてきた」しファンに悟られないようにがむしゃらに頑張っていたのだと思います。当然先輩もいる、でも後輩もできてきた、中間管理職のような微妙な立ち位置で孤独を感じることもあったのでは...?と思うと、直観的に彼女の歌を選んでいました。

 

 

 

いかがでしたでしょうか!

私の文章力では百人一首の魅力を1%も伝えられている気がしませんが、参考になったら嬉しいです!

ちなみに私の好きな歌は16番・25番・50番・89番です。よかったらみなさんの好きな一首教えてください(^^)

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

担当と推しに是非とも詠んでほしい百人一首 第1弾

初めての方もそうじゃない方もこんにちは!

筆者はPrinceの岸優太くんと関西ジャニーズJrの向井康二くんの掛け持ちをしていますまりも。と言います。筆者は唐突にこう思いました...

 

自担に百人一首詠んでほしい...

(いや突然すぎる)

 

ジャニーズの先輩のあんな曲歌ってほしい!とかよく聞くけれど、大昔の歌を詠んでほしいなんて言ったやつきっといないでしょう!!

 

ということで自担である岸くん・康二くんと、Princeのメンバー、そして西畑くん・大西くん・永瀬くん・平野くんに超個人的に詠んでほしい一首を紹介していきたいと思います!

(ここで筆者の厨がバレてしまうことは気にしません)

 

 

最初に言っておきます、長いです。

それでも読んでやるって方、いってみよー!!

 

 

さて、みなさん百人一首ってご存知ですか?

名前くらい聞いたことあるよ~って方もたくさんいると思いますが、詳しく知らない興味ないって方も同じくらいいるのではないでしょうか...

 

もったいない!!!

 

そもそも百人一首とはなんぞやという話になりますが、百人一首とは100人の歌人の秀歌を一首ずつ撰んでまとめたもの。広く一般的に言われる「百人一首」は「小倉百人一首」を指します。

この「小倉~」は藤原定家(ふじわらの・ていか)が鎌倉時代の初め、京都・小倉山にある山荘で撰んだものです。だから定家の好みが結構はっきり出ます。(こういうところもおもしろい)

100首のうち、恋の歌が43首、秋の歌が16首(春6・夏4・冬6)と多いのはまさに定家の好みが反映された結果だといえます。

百人一首」は1番の天智天皇大和時代)から100番の順徳院(鎌倉時代)までおおむね時代順に配列されているので、それらの歌人の生涯・詠まれた背景を知ればよりいっそう和歌を楽しめるはず。

 

 

前置きはこれくらいにして、さあいってみよう!

 

 

岸優太くん

 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

 

 

意訳しますと、

「あなたに逢うためなら死んでもかまわないと思っていたけれど、その想いが叶った今となっては少しでも長くあなたと生きたいと思う」

 

 

この和歌の作者・藤原義孝(ふじわらの・よしたか)は超がつくエリート政治家の家に生まれ、イケメンで和歌も得意。

 

当時和歌が上手い男性=女性からモテモテだったので義孝も相当だったみたいですが、彼はあまり関心がなく仏道に熱中していたそう。爆モテイケメンが出家してお坊さんになりたいと言ってたんですよ?そのお寺絶対女性で溢れてたと思う。

 

イケメンでモテモテでそんな完璧な人生を送っていた彼も美男薄命...21歳という若さでこの世を去ってしまいます。当時流行していた天然痘という病気にかかってしまいます。儚い。まるで近キョリ恋愛の鮎川奏多みたいじゃないですか...

 

この歌は長い間想い続けてきた女性と初めて一夜を共にした日の翌朝、女性に向けて詠んだ歌。

一途でまっすぐで、でもどこか儚さを感じる岸くんに思わず義孝の歌を重ね合わせてみてしまうんです。亡くなる役やどこか報われない役をやらせたら右に出るものはいない(個人的意見)岸くんに是非とも詠んで頂きたい。BGMはHeart Loversで決まりだな。

 

 

向井康二くん

 田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士のたかねに 雪は降りつつ

 

これは富士山頂に雪が降っている光景を詠んだ歌。

実はこの歌、「万葉集」という最古の和歌集に掲載されているオリジナル版にアレンジを加えたもの。オリジナルは、視界が開けたところに富士の白い雪が見えたという意味の歌でいかにも素朴でおおらかな歌が多かった万葉調らしい雄大さがあるのに対して、アレンジVer.は全体的に洗練されていて最後の「つつ」にこの歌が詠まれた時代に好まれた”優雅的な感動”を表しています。

 

康二くんでいうSupernova。大先輩で憧れているV6さんもそのファンもすごく大事にしている原曲へのリスペクトを忘れず自分なりにアレンジしたSupernovaと似ているな、と思い選びました。

 

この歌の作者である山辺赤人(やまべの・あかひと)は三十六歌仙の一人というそれはそれはすばらしい歌人で自然の美しさを詠む叙景歌を得意としていました。しかし史書に名前が記されていなかったので官位は低かったと考えられています。

 

康二くんも歌やダンスに長けているし、趣味がカメラということもあって自然の風景を撮るのも上手いし、赤人と通ずるものもあるのかな...と個人的に感じています。

 

 

さあ続きまして!

岩橋玄樹くん

 みかの原 わきて流るる 泉川 いつ見きとてか 恋しかるべき

 

 

この歌は中納言兼輔こと藤原兼輔(ふじわらの・かねすけ)の歌。この人、かの有名な紫式部のひいおじいちゃん。

出世もしたし、三十六歌仙の一人で歌人としても活躍していたみたいだけれど、実はこの歌は本人の作ではないと言われているのです。そもそもこの歌が入っていた「新古今和歌集」では「詠み人知らず」(作者不明もしくは匿名という意味)だったのに定家が間違えてしまったみたい...偉人のおっちょこちょいエピソードってなんだか微笑ましい。

 

”まだ見ぬ人”への初々しい恋心を歌ったこの歌。当時、女性は人前にめったに姿を現さないので、垣間見(のぞき見)したり噂を聞いたりして情報を集めていた。だからまだ逢ったこともない女性に対して想像を膨らませ、恋文や歌を歌って求愛するのは普通のことでした。

 

見たこともない人にドキドキするいわちを見てみたいという筆者の単純な脳で選びました...神宮寺くんや岸くんに変な噂垂れ流されて「ねえちょっと話と違うんだけど!!(ぷんぷん)」ないわち可愛くないですか...果たしてこれは詠んでほしいと言うのだろうか...

 

いわちには清少納言の「夜をこめて~」(62番)の歌もいいかなと思ったのですが、興味のある方はぜひ調べてみてください!性格どぎついずばぬけた教養を持った女性の才能ゴリゴリの歌です。(語彙力)

 

 

神宮寺勇太くん

明けぬれば くるるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

 

この歌の作者・藤原道信朝臣(ふじわらの・みちのぶあそん)は見た目も性格も申し分なく、雅な人物として知られていて、また時の権力者の家の養子になったこともあって順調に出世するのですが、若気の至りというか天皇の女御に恋をしたことがあるという結構デンジャラスな方です。笑

 

この歌はややこしい技法がが入っているわけでもなく本当にシンプル。「夜が明ければやがてあなたとまた逢える日が来るとは分かっているけれど」というのは、当時はどんなに恋人たちが素敵な夜を過ごそうとも夜明けとともに男性は自分の家に帰っていくのがルールだったから。もちろん次の夜には逢えると分かっていながらも一度は帰らなければならない朝がやってくるのが恨めしい、まだ若かった道信のどストレートな感情が表現されています。

 

神宮寺くんってものすごい情熱を秘めている人だと思うんです。最年少ってこともあって普段は隠しているけど実は誰よりも熱い人間なんじゃないかな、って。きっと恋をするとその人ばかりのこと考えちゃって周りが見えなくなるタイプなのかな、って。独占欲強いみたいなのもいい。ただ道信も天然痘にかかって早世しちゃいます。

Wゆうたを薄命にしちゃってごめんよ...()

 

 

西畑くん・大西くん・永瀬くん・平野くんに関してはまた次の記事で!!

次回も同じくらい長くなると思います!!!!

 

自分なりのけじめ

次にブログ書く時は明るい内容にしたいと思っていたけど、自分なりのけじめとして重い話にはなってしまうけれどブログにすることにしました。

長くなると思いますが最後まで読んでくださると嬉しいです。

 

 

 

 

 

私がしょおこじ担になったのは去年ジャニフワが終わった頃。ジャニフワが決まる頃はなにきんが好きだったけれど今ほどではなくて、でもすごく嬉しくて。別垢の仲の良いフォロワーさんに深夜ながら歓喜のLINEを送ったのを今でも覚えています。

 

当時Prince担になりたてで、ジャニフワも一番の目当てはPrinceでした。

博多座公演が始まるまで康二くんや関ジュがいるなんて知らなかったから。

 

初めて自分のお金で入って、初めての遠征で、初めてのPrinceの現場で、初めて最前列で観れて。初めて尽くしの現場が、ジャニフワでした。

 

博多座公演初日のレポで

「向井くんの出番がめちゃくちゃ多い。西の座長って感じ」

という言葉を見たあの時は忘れもしません。

 

 

関西はなにきん以外ほぼ無知で入ったけど、龍太くんがアクロバットできるって知ったり丈くんの作った漫才はとても面白かったしリチャ大橋くんもギャップがすごくて。たくさん関西の良さに気づけて。

目当てだったPrinceもすごくかっこよくて、この人たちを好きになれてよかった...!と心の底から思えるそんな公演でした。

 

でも一番の発見は、しょおこじが素晴らしかったこと。

1幕最初の紫耀のフライングで受け止めるのが康二くんだったり、オールダンスではシンメで踊るところがあったり、お笑いランドでははちゃめちゃに笑顔な二人がいて。2幕最後のFuture Islandでハイタッチしたり。

 

 

 

大阪公演が千秋楽を終えて気づいたらしょおこじと康二くんの担当になっていました。

 

 

短いようで長かった1年。しょおこじ担としては嬉しい時間よりも苦しい時間の方が遥かに長かった。

 

去年はまいジャニ in 東京もあった。夏はEXシアターと松竹座がアメフリで繋がった。秋はジャニフワでしょおこじオンパレード、雑誌でもまいジャニでもたくさん絡みがあった。

 

でも今年は...?

まいジャニでジャニアイ特集があった。東西であのセカムブをやって紫耀が見学に来た。Jr祭りではジャケット掛け合ったりおんぶしたりとにかく幸せな空間だった。

 

どうしても去年と今を比較してしまう自分がいました。

 

絡みがある度、泣くくらい喜んで、でも絡みなんて数えるくらいにしか...

そんな状況に耐えられなくなってずっとずっと迷ってきました。

 

ユメアイでも

廉ちゃんが「俺たち3人で頑張っていこう」とか

海ちゃんが「二人の存在に圧倒されてでも笑顔を絶やさず頑張ってきて、最近それがやっと報われるようになってきた」とか

舞台の演出上とは言え自分が責められているような気分でした

 

 

紫耀はもう関西Jrじゃない。これから先、Mr.KINGの一人としてジャニーズJrのトップで居続ける。

 

それでも自分はしょおこじが好きで、どうしようもなくて、

2人が共に歩む未来を願ったっていいじゃないか

 

そう思ってきたけれど、

Mr.KINGで頑張ろうという言葉がしょおこじを諦めろという言葉に聞こえてしまってすごくつらくなって。もうこんな苦しい思いをしたくない楽しくおたくをしたいそういう思いが強くなりしょおこじ担と名乗ることを止めようと決めました。

 

正直、これから先もずっと好きでいるだろうし、しょおこじが揃う現場には絶対入ると思う。

でもしょおこじに執着しないおたくになろう、たまに発信されるしょおこじにたくさん泣いてたくさん笑ってたくさん喜ぼう。そう思えるようになりたい。

 

今まで通りKin Kanもなにきんもしょおこじも心の中の大事な場所に鍵をかけて大切にしまっておこうと思います。

 

これが私なりに出した決断です。ずっと迷ってきたけどようやく、ようやく言えた。

 

これからも今まで通りこんな私と仲良くしてくれたらうれしいです!

長々と失礼しました!

いつか素直に「大好き」と伝えたくて

8月4日。

 

今日はKin Kan結成5周年というおめでたい日。

なのに私はなぜこんなにも気分が上がらないのだろうか...

 

第一に、もう一人の自担である岸優太くんが所属するユニット・Prince単独のサマステ(通称キントレ)があまりにも素晴らしくて、なかなかロスから抜け出せないせいか。

(ちょうど本日放送の少クラでキンキメドレーを披露していたのでここ1週間ほど引きずる予定である)

 

それだけではない気がする。

日に日に熱量が下がっていっている気がする。

 

Kin Kanが大好きで忘れられなくて、思い出にしたくなくて。

「一緒にデビューしよう!」力強く誓い合ったあの日を過去のものとしたくなくて。

 

でも、一般的には東京Jr・Mr.KING平野紫耀であり、関西ジャニーズJr.の向井康二であり、美容室ALBUMで働く美容師・金内柊真である。

どこからどう見たって、交わることのない3人。

 

わかってる。

わかってる。

嫌ってくらい思い知らされてる。

 

でも、去年はシンメで踊ってたじゃん...

あまり多くを語らなくなった康二くんが「紫耀は相変わらずかわいくて何も変わってなくて」「2人並んで踊る場面はすごく楽しい」って言ってたじゃん...

 

そう思えてならない。

 

こんなにつらい思いをするくらいなら好きになりたくなかった

嫌いになれればよかったのに。

 

あとどれくらい経てばKin Kanやしょおこじに執着しないで済むのか、分からない。

今月中に担降りするかもしれないし、ずっと応援(という名の執着)していくかもしれない。

 

とにかく今は、3人が出会えたことに感謝しようと思う。

 

いつか素直に「大好きです」と伝えたい。

素直に今の気持ちを綴ってみる。

どうしてこんなにもKin Kanが忘れられないのか、ふと考えてみることがある。

 

紫耀にはMr.KINGという場所があって、康二くんには関西ジャニーズJrという場所があって、柊真には美容師という場所があって。

 

バラバラになった3人を今でもこうして「大好き」だとか「忘れられない」とか言ってもいいのだろうか。

 

もう一生叶うのことないある種「夢」のようなことをいつまでもいつまでも追い続けていていいのだろうか。

 

 

 

 

そんなこと良いわけないと思った。

 

 

 

だって、そのようなことを言うこと自体、彼らの現在を否定することになるのでないかと思い始めたから。

 

実際、上記のようなTwitterユーザーのつぶやきを何万回とも見てきて、正直Kin Kanの3人を好きでいることがつらくなってきていた。

 

 

 

彼らは彼らの道を、それぞれ違う形で歩んでいる。私はそれを応援しなければならない。そう感じ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

でもできなかった。

なぜか?つい先日更新された関西ジャニーズJrによる「かんじゅ日誌」を読んだからである。事務所内イチとも言われる”ジャニオタ”古謝那伊留くんのターンだった。

 

 

 

 

愛する人を想うその素直な気持ちは絶対に伝わります。

誰に何て言われても折れずにその愛をずっと持ち続けてください。

いつかそれは認められて必ず素敵な愛の花を咲かすと思います。

 

 

 

 

涙が止まらなかった。

きっと彼は自分たちのファンに向けてのメッセージだっただろうけれど、私にはそう思えなかった。

 

 

ああ、私も好きでいていいんだ。

Kin Kanをそのまま戻すことはできないけれど、康二くんと紫耀がずっと隣にいる未来を願ってもいいんだ。

誰に何て言われたってこの気持ち押し込まなくていいんだ。

 

 

全くの自惚れだけれど古謝くんに自分を励ましてもらっているような、そんな気がしてならなかった。

 

だから私は宣言する。

 

関西ジャニーズJr内のユニット・Kin Kanが世界で一番大好きだ。

 

柊真はもうJrではないけれど、彼が残していった意思を引き継げるのは康二くんと紫耀、ひいてはなにわ皇子の3人だと確信している。

だからこそ、だからこそ。康二くんと紫耀はずっと、ずっとずっとずっと一緒にいて隣で笑いあっていてほしい。

お互い甘えん坊だけど、かまってちゃんだけど、小さなことですぐ泣いてたけど、

ダンスも上手くて、歌も上手くて、かっこよくて、

そんな二人にずっとそばにいてほしいのだ。

 

 

 

そう思うくらい自由だよね?

 

 

終わり

 

 

 

(しょおこじも大好きじゃないか!という苦情は受け付けません。笑)